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2008年 モンゴル旅行記 こぼれ話2

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7.今回のツアーのみならずモンゴルに行くといつも、「人間の幸せって何だろう?」といつも考えさせられます。特に今回は考えさせられました。 今回はモンゴル少数民族ブリアート族の多く住む地域に行ったわけですけど、ブリアート族というのは、元記者から聞いたところ、世界で最も迫害を受けてきた民族のひとつだそうです。日本人に一番顔が似ていてDNAも近いという話ですが。今回訪問した家族は、本当にこれ以上ないほど幸せそうな家族でした。奥さんも美人で高校時代は首席の成績だったそうで、12歳と11歳の二人の姉妹は、日本でタレントになり得るほどとてもかわいくて、顔立ちから見ておそらく奥さんのお母さん(おばあさん)と一緒に住んでいて、ご主人が奥さんを含めて家族をとても大切にしているのが分かりました。ご主人のおじいさんが14歳の時、迫害を受けてロシア・シベリア南側地域からここに逃げてきたときから3代ここに住んでいると言っていました。その家族を見ていると様々な迫害を受けても生き抜いてきたご先祖達、犠牲になったご先祖達がたくさんの守護霊となって守って応援しているような気がしました。そしてモンゴルの草原がそういう人達を受け入れて幸せな”家族の今”を作っていることに、それを見ていて「良かったなぁ」ととても幸せな気持ちになりました。なぜかこの家族とは偶然近くの町で会ったり、野生のブルベリー採取の森で会ったりで3度会うことになりました。魂の何かの縁だったのでしょうか?

8.今のトルコ民族の原点もモンゴル草原にあるらしく、その証拠となる遺跡の保護にトルコ政府がお金を出して記念碑を建てているようです。モンゴル帝国の前に、トルコ帝国が草原から西方に向かいオスマン・トルコ帝国へと発展したようです。日本人の感性では理解できないモンゴル草原の不思議なパワーに想像を巡らしました。

9.チンギス・ハーンはまず三つの鉱山を自分の支配下に入れたことが発展の原動力になったようです。金と鉄ともう一つは聞き落としましたがおそらく銅でしょう。鉄で武器を作り、金は兵士の給料や敵の有力人の買収に使われたのでしょう。チンギス・ハーンは敵でも職人は殺さなかったと本に書いています。新しく支配した地域の鍛冶屋などの職人をモンゴルに連れてきて仕事をさせたそうです。そうして敵国の武器製造のノウハウを掴み、自国の中に吸収していったようです。そうして雪だるま式に戦術の多様性が生まれ、ますます強くなっていったようです。自分の技術、戦法にまったくこだわらず敵国の良い技術、戦法を次々に自分のものにしていったとのこと。新しいものを吸収する頭の柔軟性が常にあったということですね。モンゴル帝国の出発点はたった1万人だったのです。モンゴル高原で戦いに勝ったいくつかの種族をまとめて新モンゴル民族と定義して、それで10万人になったのです。そのたった10万人のモンゴル軍がモンゴル帝国の主として世界を支配したのです。相手の文化を許し受け入れることでそれが可能だったのです。

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