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2008年 モンゴル旅行記2

モンゴル旅行記>>>No.1 2 3 4 5 6 7 8  
  羽田発のウランバートル行き日航チャーター便で夜9時15分出発でモンゴルに向かいました。今年は羽田発になったのでとても助かりました。往路予定5時間のところ4時間10分でした。早く着いたのは嬉しかったのですが・・。ウランバートルのチンギスハーン国際空港施設内も暖房しているのか夜中なのに今年は温かく、寒さを覚悟してセーターとベストを着て飛行機から出たのですがちょっと拍子抜けしました。「えーっ!今まで寒かったのに・・」と。
  予定より早く着いたのですが、同時に韓国航空も着いて荷物がそちらの方が早く出てきて、荷物の引き取りに長く長く待たされることになりました。これがモンゴル。でも昨年のウズベキスタンの方がひどかった。モンゴルは少しずつ効率が良くなってきています。
  首都ウランバートルは年々車が激増してビルの新築ラッシュで様変わりして素朴さは無くなってきています。交通事故が頻発して病院はけが人で野戦病院のような様相を呈していると聞きました。ウランバートルにはもはやモンゴルはありません。東京に日本がほとんど無いのと同じですね。一昨年も変化に驚きましたが、一昨年に比べてわずか2年の変化にも驚きました。遊牧民も車、オートバイ、パラボナ・アンテナ、太陽電池パネルがいつの間にか当たり前のようになってきています。モンゴルが発展してみんなが豊かになっていくのはとても嬉しいことですが素朴さが消えていくのは観光客としては寂しいものがあります。それは観光客の勝手な感傷ですが・・・。2000年に始めて行ったとき添乗員が、「モンゴルやチベット、ネパールに行くのはここ数年のうち。どんどん近代化してきてまもなく素朴さは味わえなくなりますから」と言っていたのを思い出します。それに今年のモンゴルの首都ウランバートルや草原キャンプ地は欧米人、韓国人の旅行者が大変多くなっていて、これにもビックリ!よほど田舎に行かないとただの観光草原地キャンプになりつつあります。
  今回はモンゴルで韓国人のパワーを見せつけられることになり、日本人は負けているなぁとつくづく感心させられました。私たちが4泊したキャンプ地では韓国のキリスト教の30人ぐらいの団体が朝からハンドマイクで団体体操をして、朝・昼・晩、韓国から持ち込んだキムチをいっぱい食べて、夜も騒いで、それはそれは韓国人の団体のエネルギーというものは凄かったです。彼らはモンゴルの田舎にキリスト教教会を建てるボランティア・グループのようでした。建設ボランティア活動の合間に乗馬を楽しむ、キャンプ・ファイアーを楽しむ、フォーク・ダンスを楽しむという盛りだくさんの企画をエネルギッシュにピシッ・ピシッと団体行動をやっていました。天風会の夏期修練会も他人から見ればそれとまったく同じかも知れませんけどね。
  最初のメインの目的地はウランバートルから420キロのビンデル村。この近くでチンギスハーンが生まれたという説のあるところで、チンギスハーンのへその緒が取れたという場所の碑、ハーンになって最初のクリルタイ(会議)が開かれ法律が制定された場所の碑もキャンプ地の近く数キロにあります。キャンプ地初日それらを見て回ることに。このクリルタイという会議が開かれた場所は丘の上にあり、そこの波動がとてもパワーがあるということでなく、非常に静かな落ち着いた波動でした。碑といってもモンゴルではとても単純なものがポツンとあるだけで、その単純さ、素朴さに、日本人はビックリ。日本なら間違いなくそこに神社や祠が建つのに。クリルタイが開かれた丘から向こうを見るとビンデル村とその間に白鳥などがたくさん生息するという小さな湖があり、私が「草原を歩きたいんですよねぇ。あそこの村まで歩きましょう」と提案したのが良かったのか悪かったのか、車は川のそばで待っているということにしてみんなで歩き始めました。何事もモンゴルでは右回りということで湖も右回りで遠回りして、村までは楽しい楽しいハイキングになりました。そして帰りはまた草原を歩いて帰り始めました。車はどこで待っているのだろう?と川に沿って楽しく歩き始めたのですが・・・・・・。結局、35度の炎天下13キロを歩く羽目になりました。もうキャンプが見え始め、ここならもう歩いてもキャンプ地にたどり着けるという場所で車が待っていました。もう一人の男性は疲労で「もう限界、ここからでも車でないと」とダウン寸前で車に乗り込みました。35度といっても日本の35度とは違います。空気がカラッとしていますから。日本なら35度の中、13キロも歩けません。アイスクリームも、日陰も無いところで。
  二日目 
  キャンプ地から50キロぐらい離れた所にある聖水の出る岩場、突厥時代の岩絵、岩文字を見に行くということで、現地のガイドとして道を知っている遊牧民を連れて行きました。で、現地にたどり着いたのですが、聖水の出る岩場も岩文字もどこにあるか見つからず、岩場近くの遊牧民に聞きに行くという始末で。近くといっても1キロ以上離れている。ガイドの遊牧民は早足で聞きに行きました。その間、運転手が聖水の湧き出るという岩とか岩に刻まれた文字を一生懸命岩場を歩いて探したのですが見つからず、近くの遊牧民に聞いて帰ってきた遊牧民ガイドが「ここが聖水の出る岩です」と指を指したのが、「えーっ!私が今、立っていた所じゃないですか!」ということになりました。聖水は岩からポトリポトリ落ちてくるらしいのですが、その時は水は落ちていませんでした。その聖水は目の病に効くということでした。その後、みんなで岩文字・岩絵を探し始めたのですが、みんなが通り過ぎた後に私が見つけて、「どうして私が見つけることになるのかなぁ〜?」ということで・・・。Y新聞の元記者も学者と一緒にかつてここに来たことがあるというのに。午前中にこれらの散策を終わらして午後は乗馬のはずだったのですが、結局、距離の計算の狂いで帰ったら夕方で、元記者はゲルの中でバタン・キュー。
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