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クンバハカ解説 2003

クンバハカ解説>>>2003 2005 

 足を肩幅より少し狭めに立って腰骨を伸ばしあごを少し引いて、腰を回転して後を見るようにすると肛門が締め上がるようになり、同時に肩の力が抜けるが、そう言っても分からない人が多いことが分かった。そんなはずはないのだけど、なぜだろうと実験してみた。最初に呼び水が必要なのです。ほんのちょっと軽く力を入れないで肛門締める動作が必要です。普段クンバハカに慣れている人は当たり前なのでその呼び水を意識しなくても呼び水が自然発生する。
  ちなみにクンバハカに慣れている人は、座ったままでも腰を後に回転するとクンハバハカ体勢になります。そのままの状態で回転を戻すと、しばらくは自然に肛門は締まったままの状態が維持されます。   04/19/2004


 NHKのアナウンサーはクンバハカ(もどき)をしている。眉上げもしている。
そこが他の民放のアナウンサーと大きく違う点だ。
若いアナウンサーは力でお尻を締めている。  01/12/2004


 クンバハカ?!、”あっ!!”と驚いた声を出すと、または心の中で言うと肛門が締まる。下腹部が力が入って締まる場合と、そのまま固くなる場合がある。お腹がへっこんで力が入る場合は肩にも力が入る。”あっ”と意識的に小さな声を出して下腹部をちょっと膨らますようにするとちょっと肩の力が抜ける。絶対クンバハカに近くなる。   01/06/2003


 本当のクンバハカを経験してみると普段如何に肩の力が抜けていないかが良く分かる。今は起きている時は、いつでも肛門が締まっているようになった(寝ている時は分からないが)。わざ  わざ肛門を締める動作をする必要はない。しかし肩の力が抜けない。肩の力を抜くには、「あー、よかったぁ」と心の中でしみじみとつぶやくことです。しかし5秒、10秒後には元に戻ってしまう。臍下丹田の気に関しては姿勢が大事です。少しでも姿勢が崩れると気は無くなってしまう。天風先生の姿勢が良かったのは、当時の教育やしつけによるものでもありますが、クンバハカを常時維持するために立っていても、座っていても姿勢を崩さなかったのです。そういうことが分かってきました。一番楽い姿勢というものは、一番正しい姿勢です。どこにも力の入っていないバランスの取れた状態のことを言います。その姿勢を見つけるのが実は大変なのです。なぜなら力が入っている、入っていないという違いが分からないから。12/28/2003


2. 1.で書いたように、たまたまクンバハカのホームランを偶然打ってしまいました。その後は三振の山、そして球に何とか当たるようになっても内野ゴロアウトを繰り返し、やっとゴロ性のヒットを打てるようになりました。真性クンバハカに入るには無心でないと入れないのです。無心→クンバハカ→安定打坐なのです。クンバハカ態勢で安定打坐をすると5分でも心身の甦りになります。
  こんなさわやかな感じを、安定打坐の後に感じたことはかつてなかった。肛門を締めるとか肩の力を抜くとかは条件反射を作るための訓練なのです(それ自体でも効果はかなりあるが)。真性クンバハカでは、肩の力を抜くというより、肩が身体の中に落ち込んでくる感じです。クンバハカ状態ができれば安定打坐の時間は短くて良いのです。無心→クンバハカ→安定打坐をどれだけ早くできるかということですね。それをほぼ瞬間に行って本心煥発とか瞬間活法に持っていく。
 クンバハカに持っていこうと動作をする限り本当のクンバハカにはならない。なぜなら動作をするという意識を働かせることは無心ではないから。二階から落ちて肛門が締まっていたとか、交通事故でぶつかった時、クンバハカになっていたとかという話は良く聞きますが、落ちている瞬間、交通事故の瞬間、思考が止まって無心だったからです。日々の訓練のお陰で条件反射的に肛門が締まっていたということですね、きっと。私ができる程度の真性クンバハカを得る方法はもう説明できますが、説明して良いかどうか私には分かりません。ただ、今までの天風教義や山田先生の教えの中にヒントはたくさんあります。無心をきちんと取れる人にしかクンバハカは教えられないのは確かだと思います。そうでなければクンバハカが雑念となってしまって無心に入れない。安定打坐は、座禅と似て非なるものという天風先生の言葉の意味が分かります。座禅の無心三昧と安定打坐は同じであると説明する先輩方がいますが明らかに違います。私がよく言うように安定打坐は無心が出発点なのです。クンバハカ態勢での安定打坐を終えると、『甦りの誦句』がより深く実感します。ただ、今はポテンヒットなので、スーッと元の普通の状態に戻ってしまう。
 抽象的な言い方をすると『クンバハカとは、内在する自己と外在する自己の統合的存在の明確な自覚とその態勢』いうことですね。統一道という言葉も、単なる心と身体の統一という簡単なイメージではない。かなり話が難しくなってきたなぁ。でも体験すると、みんな「あっ!」と分かっちゃう。 12/24/2003


 このホームページを読む人のためにクリスマス・プレゼントを差し上げます。
 私はいつも朝風呂に入るのですが、昨日から次のことを始めました。
  風呂で暖まって出る前に水を浴びる。この水浴びは22歳の時からずーっと続けている。その後、当然乾いたタオルで身体を拭く。当たり前だ。その後、たらいに冷たい水をいっぱいに入れる。その上からお尻を浸す。しばらくそのままにする。座る姿勢は、たらいの形によって違うからそれぞれ工夫してください。この時、注意しないといけないのは臀部を締めて肛門に充分冷たい水が触れないようになってしまうことです。臀部は拡げて肛門がたっぷり水に浸かるようにしなくてはなりません。水を氷水にすると良いかも知れないと思っている。もちろん出る時は、お尻を拭いてください。結論は書かない。やってみてください。但し、痔主の人には勧められません。「たらいに水を入れてお尻を浸けてみろ」と天風先生が言っていたということを、先日曜たまたま行修会に来た人からたまたま聞いたので実行してみた。ついでに書きますが、お尻を締めろと言われて臀部の筋肉を働らかせて臀部のお尻を締めている人が日曜行修会でたまに見受けられますが、臀部の筋肉は解放するのが正しい。とは言っても 『クンバハカもどき』ではある程度は連動してしまうことになってしまう。
  12/17/2003


クンバハカ。いろいろ工夫しながら、三振から、なんとか内野ゴロの球が打てるようになった。
まだまだアウト!ですな。普段はバントでこなしている。
バントで一番良いのは、「あっ!ウンチが出そう!」と心の中で声を出すことですね。
その次が、肩幅に足をちょっと外向きに開いて、腰を回転して後を向く。この方法も参考になる。12/16/2003


 養動法→安定打坐→クンバハカ→養動法→安定打坐と身につけて進化するです。
 天風先生も、岩の上で座禅瞑想して、地の声を聞いて、天の声を聞いて、それからクンバハカを身につけて、再び瞑想した流れを持っていると思います。本当のクンバハカを身につけて安定打坐をすると別世界が生まれる。クンバハカ態勢で安定打坐をしていて、豹が膝の上で寝ても気にかからなかったというのは、自分でクンバハカを経験してみるとそれを理解できる気がする。
  それにしてもクンバハカをテーマにこんなにたくさん文章を書くとは思わなかった。それにしても天風教義は、”凄い”ということがますます分かってくる。12/12/2003


 クンバハカは、確かに人間が本来持っている生体防御かつ活性態勢なのかも知れません。生命が危険になっている時、自動的に働く生体防御機能なのです。それを普段に適用すれば凄い生命活性化機能になるのです。滝行の中などでそれを身体は体験している人もいるかもしれませんが、それを指摘してくれる師がいないのです。天風先生も天の声を聞いてもカリアッパ師から指摘されなければそのままだったし、クンバハカも同じく「それだ!よし!」と指摘されなければ、何も分からないままだったはずです。
 クンバハカを野球のホームランに例えれば、『クンバハカもどき』は、セーフティ・バントですね。ホームランはそう簡単に誰でも打てるわけではない。だからセーフティバントでも良いから何とか生き残れということですね。王選手も「ホームランは打とうと思って、ねらって打てるものではない」  とかつて言っていたのを思い出しました。私の場合はピッチャーが球を投げたのを知らずに、フッ!とバットを振ったら、そこにボールが来ていてたまたま運良く、バチッ!と当たってホームランになった。「そうだ!もう一度やってみろ!」と言われても、「感覚は分かるけど、はぁ?」という感じでしょうか。今はボールに近いところにバットを振って三振の山、ボールの風は感じるというところですか。
  『クンバハカ』だけでなく、それが出来ない多くの人のために、『クンバハカもどき』の方法も作ってくれたのは、「バントなら、練習すれば誰でも出来るだろう。それで塁に出て生きろ!」という天風先生の愛情ですね、きっと。みなさん、あきらめずに、そして力を入れずに。 12/12/2003


 ほんと、クンバハカが分かった時は、「分かった!分かった!」と小躍りしたくなるほどの感動です。
  天風会の修練会や教義は、本当のクンバハカが分からなくてもそれなりに効果のある素晴らしいものですが、それが分かるとまたまったく違う意味が出てくる。クンバハカが分かったもの同士での修練会ができると天下無敵になるだろうなぁと思う。そういえば、杉山会長(当時)はクンバハカについて解説していたかなぁ?記憶にない。説明しようとしてもその方法は説明できないものだから、分かるものはいずれ分かるし、分からない者は分からないのだから説明しなかった?算数の足し算引き算を学んでいる人に連立方程式を教えると頭が混乱するだけだから。それも確かに言える。
  クンバハカと違いますが、最近不思議だなぁと思うことがあります。それはオシッコをする時の感覚です。絶妙な感覚で我慢したり、出したり止めたりしますよね。あの制御する方法はどうやって自分の中で覚えられたのだろう?今は当たり前に制御しているが、自分の中でその制御の段階を分析してみるとなかなか絶妙なコントロールをしている。それは手を動かすとか歩くとかそういう筋肉の運動とはちょっと違いますよね。当たり前のことも、よーく考えると不思議なことは多い。仮にオシッコのコントロールしないまま大人になった人間にどうやってその制御を教えることが出来るのだろう。変なことを書いてしまった。時々そんなことを考えるのです、私は。 
  ある人は、「天風会でも100人中99人はクンバハカを理解できないのだから、99人にも役立つ現在の『取りあえずのクンバハカ』で良いのだ。それで良い。身に付く人は身に付く。」とのこと。そのある人も約1年前からクンバハカが自然に出来るようになったとのこと。「心身相関なんだから、身体のバランスが壊れていては本来の安定打坐も出来ないし、クンバハカに入ることも出来ない。
  身体のバランスが取れると自然に分かってくる。みんな自分の身体のバランスが壊れていることを知らない。まず力の入らない正しい姿勢が出来ないとだめなのよ。赤ん坊はもともとクンバハカなの、歩き出していろんな癖が付いてきてクンバハカから外れていくの。天風先生もあういう時代になっているから姿勢が良いのよ。」とも言っている。
  またある人は、2年前、駅の階段を下りていた時、後の人が転びそうになって、ふっと振り返ってその人を受け止めようとした時、”あっ”とクンバハカに入ったのが最初の経験だと。受け止める姿勢に力はまったく入っていなかった、と。普通ならそういう状況では身体に力が入るはずなのにと言っていた。
 今、クンバハカを身につける人が増える時代なのだろうか?それとも天風会入会10年から10数年がそういうひとつのタイミングなんだろうか? 聞いてみるといくつか事例出てきて面白い。要するに身体のどこかに意識的にしろ無意識的にしろ、力が入っていてはクンバハカに入れないのは事実だと思う。だから、きゅっ!きゅっ!きゅっ!をひたすらやって、それを忘れて全身から力が抜けた時、ひょっとしたらクンバハカに入るかも知れないということかも。最低12年の継続!!  これら二人は、私より天風道古い人です。  12/11/2003


1. 天風会に入って12年、始めてクンバハカが出来た。いやクンバハカに入ったという実感があった。
  クンバハカとは、「肛門を締め上げて、臍下丹田に気を込めて、肩の力を抜くこと」と教わってきました。私はどうもそれは「クンバハカもどき」であって本当のクンバハカは違うのではないかと思ってきました。ただそう表現するしかないものではないかと。クンバハカになると霊体になるといいます。気が充実した感じとか、瓶に水が充満した状態とか言われています。今までも気の充実は少しは感じられていたが、上記の3点セットをしても霊体とかそんな感じまでは実感してこなかった。今朝( 12/09/2003 )始めてクンバハカに入った実感をした。クンバハカをするのでなくクンバハカに入るのです。3点セットを同時にするのでなく、肛門をちょっと締めるとクンバハカにすーと入る。力なんか何もいらない。すると自動的に同時に臍下丹田に気が満ちてきて、肩の力が抜けて気が下半身に充満して身体全体の生命力が上がるのです。生まれて始めて味わった不思議な肉体的感覚です。「なるほどこれが聖なる態勢、霊体か」、「瓶に水が一杯になった状態、確かにそうだ」と。
 そう逆なんです。確かにこのクンバハカは指導できないから、天風先生は逆の方向から教えていたのです。こればっかりは確かに自分で掴むしかない。
  もう一度言いますが、「クンバハカはするものではない、入るものなんです(または、なっちゃう)。」今までそれなりに効果はあったものの、何というトンチンカンなことをしていたのだろうと分かった。「なるほどこの感覚か!」ということは掴んだが、私にとって問題がひとつある。それを再現する ことができない。たまたまそうなったものをもういちどやれと言われてもできない。それが問題だ。 
  で、山田務名先生に報告しようと電話したら(山田先生に電話するのはこれでたったの2回目です)、「それが自然クンバハカです。そのコツを掴むと24時間の自然クンバハカになります。その状態で息を止めると絶対クンバハカになります。それが出来ないと神人瞑合は出来ません。
  またその状態で眉上げをすると怖いもの無しになります。天風先生はそのこつを掴めとやかましく言っていたと。やっと第一歩クリアーか! 「はぁー」ため息が。 「今までいったい何を聞いて何をしていたのか」と優しく怒られているような感じだ。
 
  分かってみると、山田先生の教えが正しい。もっとも本物に近づく最短距離だ。やはり天風先生や安武二代目会長からの直伝というものは深い。現在の天風会や日曜行修会での教えは取りあえずみんなが分かること、出来ることを易しく、それなりに効果を生み出す方法なのです。クンバハカ、それは宇宙飛行士が無重力の中で無心の状態で肛門を締めると得られるだろうと思われる。別の見方をすると、座禅が心の無心なら、クンバハカは肉体の無心から生まれるもの。無心無心という雑念からは無心は生まれない。クンバハカ、キュ、キュ、キュ、という力みからはクンバハカには入れない。 確かに山田先生は、肛門を締めなさいとは言っていない。こうすれば締まると言っているのです。天風先生も、ヒマラヤの冷たい雪解け水の流れる川の中で、肛門を締めたとは言っていない。「締まっていた」と言っているのです。 
  「締める」のと「締まる」のでは違う。うーん、これは大きなヒントかも知れない。
  今、出来なくてもなんとなく方向が見えてきた。これを読む人は幸せだ。こんな説明今までにない。いやー、なんというか、難行苦行からは悟れないということを悟るために難行苦行をある程度する必要があるのかも知れない。いやー、まいった!、まいった!12/09/2003

 

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