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2011年 よもやま話

あいうえお
私がいつも言っています。「中国文化とヨーロッパ・アメリカ文化は略奪文化だ」と。
この考古学者も同じことを言っている。長ーい文章からほんの一部分を抜粋しました。

【1999年度 日本海学講座 1999年11月27日 県民会館
 講師 安田 喜憲 国際日本文化センター教授

 日本人が一番ほっとできるところはどこかといいますと、これは雲南省です。雲南省に行かれて、それ以外の中国も行かれた方はわかると思いますが、それ以外の中国は、漢民族が大半住んでいるのです。はっきりいって、漢民族にはとても日本人はかなわないのです。漢民族の国、これは百戦錬磨の国です。それに比べたら日本人などはちょろいものです。お人好しで、本当にばかです。中国人は本当に日本人のことをばかにしているのです。江沢民は日本から何兆円という援助を受けていながら、一国の総理として堂々と日本人の歴史観を批判できるわけです。はっきりいうと、それは日本人をばかにしているからできるのです。それでも日本人はお人好しだから、第2次世界大戦に悪いことをしたしということで、一生懸命やっているわけでしょう。もう1つは中国の市場をねらっているのです。市場が金儲けになるかもしれない、それを開拓すればというあまい希望を抱いて、皆さんが中国に行っているわけですが、とても日本人は、中国の漢民族には太刀打ちできません。
 ところが日本人と同じような感覚を持っている人というのは、雲南省の、特に少数民族です。その少数民族は、今でも太陽や鳥を神様として崇めているのです。

 日本人というのは、我々は世界の中では大国のように思っているかもしれませんが、民族ということを考えたら、非常に小さい少数民族です。しかもそれは非常に古い伝統的な文化を頑なに守り続けている民族なのです。だから、中国をご旅行された方はご存じだと思いますが、中国の漢民族の住んでいるところは、森もないし、どこへ行っても同じような文化しかありません。これほど特異な民族はないです。

 私はよく言うのですが、地球を破壊する2つの民族が世の中にいるのです。それは、1つは漢民族です。もう1つはインド・ヨーロッパ語族です。これは現在のアメリカ人だとかヨーロッパ人。あれはみんなインド・ヨーロッパ語族です。これも3500年前に爆発的に拡大するのです。だから、これは不思議なのです。インド・ヨーロッパ語族というのは、もともとカスピ海や黒海周辺にいたのです。それが3500年前から世界中を席巻していくのです。もともとアメリカというのは、インド・ヨーロッパ語族の国ではなかったのでしょう。そこはアメリカインディアンが住んでいた、我々と同じモンゴロイドの国です。そこへ新大陸の発見で、どんどんインド・ヨーロッパ語族が行って、そして徹底的に自然を破壊していく。そういう民族と漢民族というのは非常によく似ています。だから、畏れがないのです。自然への畏敬の念というものがないのです。だから、竜というのは自然への畏敬の念の表れでもあるけれど、人工的なものです。いろいろなものを融合して、竜を作り出すのです。これは漢民族の得意なことです。
 ところが、我々とか雲南省の人は、ヘビならヘビをやはり信仰するわけです。ヘビといろいろなものを合わせたものを作り出すというのは、苦手なのです。だから鳥は鳥、ヘビはヘビなのです。そういう自然のあるがままの姿を崇拝するのですが、漢民族はそれをいっぱい融合して、人工的な竜というものを作るのです。だから竜のルーツとヘビのルーツは全然違うというのが、私の最近の結論です。

漢民族と対決してやろうと思ったら、絶対に負けます。だから、日本は戦争に負けてよかったのです。日本が戦争に負けないで満州にいたら、日本民族はなくなっています。今ごろ漢民族にみんな吸収されています。清朝という国があるでしょう。あれは満州族だったのです。300年間中国で統治している間に、満州族はどこに行きましたか。今は跡形もなくなっているでしょう。清朝という国は、江戸時代と同じくらいに、300年も中国を統治したのです。それは言葉も習慣も風俗も何も全部違うのです。弁髪を強制して、漢民族を支配したかに思ったのです。今はどうですか。満州族などはどこにもいないでしょう。いるのは漢民族だけです。だから我々第2次世界大戦のとき、侵略してみんな満州に行ったでしょう。それで負けてよかったです。あのとき勝った勝ったといって満州を占領していたら、今ごろ日本人は漢民族になっています。それぐらいに漢民族というのはすごいです。

 だから我々のルーツというのは、先程言ったみたいに、やはりこの鳥やヘビや太陽を崇拝する、そういう民族の上に立っているということをきちんと理解しないといけないと思います。だから、ここにいる皆さんを見ていてもよくわかります。こういう雰囲気で、中国人がやってきて、とても対決はできないです。やらない方がいいです。私はよくわかりました。日本人は本当に心優しい民族です。だから、このような小さな国でも経済発展もできたし、みんな仲良くできるのです。小さいことであっても、もめ事はあります。しかし、そのような漢民族と対決などをしてはいけません。絶対しないことです。しかし決して同調しても同和してはいけません。同和したらその中に吸収されていきますから。一線を絶えず画しながら、しかし仲良くしていくということです。戦争したら我々は負けます。すごい話になりましたが。】

村長さんの私見:確かに、日本は満州や朝鮮半島から手を引いて正解だったのかも?内陸での戦争は勝てないけど、海での戦争は負けないと私は思っています。中国は、いくら空母を持っても海の戦争では勝てません。なぜなら、そういう経験が遺伝子の中に無いからです。ただし核は別。核を撃たれたら現状では終わり。

私は日本人のルーツとか起源とか興味を持って本をいろいろ読んでいますが、日本人のルーツはユダヤ人とかいろいろDNAに基づく説があります。そういうのも事実なんでしょうが、世界で最も古い土器は日本の縄文土器なんですよね。そして石器時代に石で石を研磨して作る石器も日本が世界で一番古いんですよね。そういうことを考えると古代ユダヤ人がたくさん日本に来たと言うことが事実であっても彼らの中に東方に理想の地があるという伝承の元に新天地というか平和のユートピアを目指して日本まで来たのではないかと推測も出来ます。そんなことを考えていると次のブログに出くわしました。本文は長いので一部抜粋して紹介します。
【ひとくちに縄文時代といっても、年代的にはものすごく長い期間です。縄文時代草創期がいまから二万年〜九千年くらいの前。縄文時代早期が九千年から六千年くらい前。縄文前期から晩期が、六千年から二千年くらい前の時代です。
縄文時代は、通して見れば一万八千年くらいの長い期間なのです。
ヨーロッパなどでは、だいたい一万年前くらまでを旧石器時代、一万年から三千年くらいまえの時代を新石器時代などと呼びます。
ですから日本の縄文時代というは、欧州や支那における旧石器時代後期から新石器時代にかけて栄えた、まったく日本独自の文化ということができます。
縄文時代というと、なにやら、髭(ひげ)もじゃらで髪(かみ)はボサボサ、鹿の毛皮をかぶって下半身丸出しの原始人の姿などを想像してしまいますが、どうやらこれは大嘘です。
こうした考え方は、「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」のだから、「日本文明は大化の改新(645年)以降に始まった」のであり、「それ以前には日本には文明はなかった」・すなわり支那が親、朝鮮が兄、日本はおとんぼ、という歴史認識から生まれた、いわば政治的な創作です。

縄文時代の女性の装飾は、特定のシャーマンの女性だけが、ガチャガチャに着飾っていた、というのではありません。出土品の数の多さからみて、10〜200戸くらいの集落で、特定の、たとえばシャーマンだけががカラフルな装飾品をまとっていたとは言い難いのです。つまり、すべての女性が、美しく着飾っていた、ということです。
女性が美しく着飾れるというのは、いいかえれば女性がとても大切にされてる社会だったということです。しかもおもしろいことに、縄文時代の発掘品に、まったく「武器」が出土しないのです。植物採取や狩猟のための道具はあっても、人を殺すための武器、たとえば長い柄のついたハンマーのようなものが、ありません。もちろん刀剣や槍の類もないのです。
 女性たちが繊細な彫刻を施した装身具や、美しく彩色された衣類で美しく着飾り、男性たちは武器を持たない。おそらく繊細な加工を施す彫刻品や土器などの生産は、男たちがやっていたことでしょう。男は狩猟や採取を行うかたわら、繊細な彫刻品を作る(彫刻品の多くはいまでも男の仕事です)。女たちは男たちが作った装飾品できれいに着飾り、食事や子育てを行う。
ちなみに、日本の縄文期の遺跡は、数千か所発掘されていますが、諸外国に見られるような、頭に矢じりが突き刺さっているようなもの、肋骨に槍の穂先が挟まっているような遺体は、いまだ発見されていません。
 つまり、縄文期の日本は、人が戦いや争いをすることなく、男女がともに働き、ともに暮らした戦いのない、平和な時代だったということができます。日本では、そういう時代が二万年近く続いたのです。これはすごいことです。日本人は平和を愛する民族です。戦いよりも和を好む。そうした日本人の形質は、縄文時代に熟成されたものといえるかもしれません。
弥生時代にはいると、服装も土器もシンプルなものになり、刀などの武器や鎧を着た武者の人形なども出土しています。
 女性たちが美しく着飾れるというのは、平和な世の中のある意味、象徴的なできごとといえるかもしれません。なぜなら戦乱の世の中では、のんびりと凝った装身具を身にまとったり作ったりするだけの余裕がない。ガチャガチャした女性の装身具は、敵から逃げるのには不都合です。
 日本人とそっくりの遺伝子を持っているのは、どうやらバイカル湖のほとりあたりの人たちです。とうやら日本人のルーツは、北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にあるようです。(今のブリヤート族ですね。)
つまり、もともとバイカル湖畔あたりにいた人たちが、地球気温の寒冷化によって南下をはじめ、樺太から北海道を経て、日本の本州に棲みついたというのが真相のようです。同時にこの時期、一部の人たちはベーリング海峡を越えて、北米大陸に移住しています。そうです。アメリカインデアンの先祖です。
要するに、日本の縄文文化は支那から朝鮮半島を経由して入ってきたものではなく、バイカル湖から樺太〜北海道〜本州へと南下するなかで、日本の風土に合わせて育まれた文化である、と確定してよさそうです。

一方、朝鮮半島では一万二千年前から七千年前にかけての遺跡が、まったく発見されていません。これは実に不思議なことで、一万二千年前から七千年前までの五千年間、朝鮮半島からは人間が住んだ痕跡が消えているのです。なにもない。ヒトの気配が、朝鮮半島からまるでなくなるのです。
朝鮮半島の一万二千年以上前の遺跡・・・つまり旧石器時代の遺跡なら、50ヵ所程度発見されています。七千年前以降の遺跡なら、数多く発見されている。
ただし、朝鮮半島の旧石器時代の遺跡程度のものなら、日本で発見された遺跡数は三千〜五千カ所に上ります。
要するに朝鮮半島には、旧石器時代の遺跡自体の数がほどんどなく、しかも一万二千年前から七千年前までの五千年間、遺跡の空白期間がある。
そしてその期間を通じて、日本には、数多くの遺跡が発掘されているということです。
朝鮮半島で、遺跡がなくなる五千年間、そこでいったい何があったのかは、まさに「神のみぞ知る」ことです。

長江文明といわれる浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)が発掘されています。
河姆渡遺跡なら、約七千年前の遺跡ですから、時代的にはほぼ同じ時期にあたります。
ここでは、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。
支那が春秋戦国時代を迎えるのは、いまから三千年の昔です。秦の誕生にしてもいまから二千二百年前です。
約二万年にわたって、武器すら持たず、牧歌的で平和な暮らしを築いてきた日本(このことは間違いのない事実です)に、支那から朝鮮半島を経由してやってきたのは、実は「武器文化=人殺し文化」、すなわち「恐怖の文化」だった。
クチ裂け女の噂話じゃないけれど、恐怖というのは、それなりに強い文化的伝播力を持ちます。女たちや生活を守らなければならないと考えた縄文人たちは、新たに武装し、弥生文化を開いた。つまり、古来、支那からはいってくる文化には、ロクなものがなかったといえないか、ということです。
儒学や朱子学、陽明学、漢詩のようなものは、それなりに価値を持ったけれど、支那かぶれが日本に招いたのは、武器にかぶれて働かない傾き者に、盗っ人、強姦、権勢欲。仏教はよかったけれど、乱暴者の僧兵を招いて都を移さなければならなくなったし、支那事変や、満洲では、日本人がさんざんひどい目に遭わされている。
朝鮮半島について言えば、支那から武器を輸入して、男が武器をもてあそぶようになった百済族と、古代のまま男が武器を持たないで働くことを重視して平穏な生活を望む新羅族とでは、その生き方に根本的な違いが生まれた。
最初のうちは、支那にかぶれて武器を持った百済が半島で勢力を持ちます。
しかし、あまりの乱暴狼藉についに怒った新羅族は、百済に戦いを挑むようになる。
一方、武器を持った百済族の一部は、日本にもやってきます。
男が鋤(すき)や鍬(くわ)よりも武器を選ぶ百済族と、やはり武器を持たない大和の縄文族。やむなく大和縄文族も、武器をもって立ち上がった。そして国力を増すために、全国を統一し、朝廷を建てた。もともと働き者の大和族です。
輸入した青銅武器に工夫を凝らし、また戦い方にも工夫を凝らした。気がつくと、熊襲族など、むちゃくちゃ強い部族が誕生した。その後、新羅族は、支那かぶれの百済族を滅ぼします。
滅ぼされた百済からは、たくさんの渡来人が日本にやってきた。
まぁ、大昔のことなので、実際のところはわかりません。
ただ、思うに、「和をもって尊しとなす」という聖徳太子の教えは、そのまま古代の縄文日本から延々と伝わる日本の伝統の根幹だったのではないかと思うのです。
男が武器より労働に生き甲斐を見出すという日本的性格も、やはり日本人の縄文時代から長く続いてすでにDNAに刻まれた伝統なのかもしれません。
そして日本という国の乱れは、常に「支那かぶれ」があらわれることから起こる。
文化は、支那に始まり朝鮮半島を経由して日本に流れてきたという説があります。
トインビーの説など、その典型です。
しかし、なるほど武器や仏教伝来に関しては、そういうことがいえるかもしれないけれど、すくなくとも遺跡を見る限り、支那よりも日本の文明開化の方がはるかに早い。
朝鮮半島など、約五千年の空白時代すらあるのです。

日本には、男性が武器を持たず、女性たちが美しく着飾り、和をもって尊しとする人々の和の文化がもともとあり、そうした大和人のDNAは、現代にまでしっかりと受け継がれている。
支那や朝鮮から伝播したのは、人殺しのための武器と、争いごと、盗っ人や強姦魔など、これまた、いまも昔もなんらかわらない。以上の日本文化発祥説ともいうべきものは、ねずきちの勝手な想像です。ただし根拠はあります。
文明東進説(支那に起こった文明が半島を経由して日本にもたらされたとする説)を、いったん白紙にしてみると、むしろ文明西進説(日本に起こった文明が、半島や支那に伝播して古代文明が花開いた)で説明した方が、はるかに合理的な説明がつく。
ただ、いいたいのは、日本は、一国一文明の国であり、縄文の昔(ヨーロッパでいったら旧石器時代の昔)から、男が武器より、もっぱら加工や工作、あるいは労働を重視し、女性たちが美しく着飾り、のびのびと安心して生きれる文化と生活があった、といえようかと思います。古代も、中世も、昔も、現在も、日本は平和で高い文化意識を持った民なのです。そんな日本を、私たちの世代で壊してしまうということだけは、絶対にしてはならないことだと、ねずきちは強く思うのです。】出典ねずきちのひとりごとhttp://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-802.html 
ヨガの行法「ムーラ・バンダ」をインターネット検索したら次のようなものがありました。参考までに。ムーラ・バンダがクンバハカと同一なのかクンバハカの前提なのかはまだ分かりません。(天風会で教えているクンバハカは簡易的な方法と天風先生も言っています。)私の経験から言うと、ムーラ・バンダは本当のクンバハカの前提のような気がしますが。
                    
検索1.
本日はムーラ・バンダについて佐保田鶴治先生/訳のハタヨーガ・プラディーピカーから記したいと思います。
昔読んだ中村天風先生の本にもムーラ・バンダの重要性が説かれていました。
中村天風先生は無意識でムーラ・バンダが閉まるようになるまで15年かかったと書かれていまし。
ハタヨーガ・プラディーピカー
第3章ー61
カガトで会陰部を圧して肛門を収縮し、アパーナの気を上方へ引き上げるならば、それはムーラバンダとよばれるムドラーである。
(アパーナは5つのプラーナ?生気?の一つで、平素は肛門の近くのムーラダラ・チャクラに位置し、仙骨神経叢と関連し、老廃物すなわち大小便、汗、炭酸ガスなどの排泄をつかさどる。その色は赤またはオレンジ色。)
第3章ー62
肛門を収縮することによって、いつも下降する傾向のあるアパーナ気を力づくで上昇させる。
これがヨーギーたちによってムーラ・バンダとよばれるものである。
第3章ー63
カガトをもって肛門を圧して、アパーナ気がスシュムナー管のなかを上昇するように、繰り返し繰り返し、力をこめて気を引き締める。
第3章ー64
プラーナとアパーナ、ナーダとビンドゥの2つはこのムーラ・バンダの力で合一し、ヨーガの完成をもたらす。これについて疑いはない。

検索2.
■「肛門を締め付けるぐらいは誰にでも出来ることだが、ムーラバンダの場合には、かなり高度なテクニックが必要になる」
■体内へ向けて締め上げる
■肛門のなるべくせまい範囲だけを使って引き締める
■ムーラバンダを真に理解するには、とりあえず10万回実践してみることだ。1日1000回やれば3ヶ月余りで10万回になる。
■「1秒に二回ぐらいのスピードで、最低でも1分以上続けられる必要がある」
■「初心者のうちは2秒に一回が精一杯だろう」
■「ムーラバンダのテクニックを上達させれば寿命が延びることもヨガ行者の常識である」
■「クンダリニー覚醒の最も重要なテクニックであるにも関わらず、正しい方法で修練している人が少ない」
■肛門に力を入れた時に腹を触り、なるべく余計な緊張を減らしていく。胸、頭、足、腕も同様。肛門だけに力を入れられるようにしていく。
■肛門を「締め付ける」というよりも「絞り上げる」感覚
■細かな観察力でもって、肛門から力が入り始めるように修練していく
■まだ数多くの留意点があるが、ここまでのことが出来るだけでも相当な修練が必要になる
(「クンダリニーヨーガ」成瀬雅春より)

検索3.
肛門を締める
腹式呼吸法の多くで、呼吸のステップの中に「肛門を締める」ということを取り入れています。正心調息法の場合は充息時に肛門を締めるという動作を組み込んでいます。
肛門を締めることの効果についてはこちら
@7つのチャクラが全部活性化する。
A腹圧が高まることによって、腸の周りの血管から大量の血液が押し出され、全身の血行が良くなる。
B横隔膜を間接的に動かすことができ、結果的に深い呼吸の手助けになる。
C肺から丹田、肛門を結ぶ中心線に「空気の柱」ができる。

検索4.
●肛門の締め方
肛門を締めるというのは、肛門を直腸の方向に引き上げるという感覚です。わかりやすい例で言うと、排便をするときの力の入れ方ではなく、むしろ下痢や尿意をこらえるときの力の入れ方です。この辺り、たまに勘違いされている方がいますので、お気をつけくださいね。勘違いされたまま、お腹がゆるい時に正心調息法を実践したりすると悲惨なことになりかねませんので。
「充息」の説明のときにも触れることになると思いますが、充息時には丹田に吸い込んだ空気を押し付けるという上から下への動作と、肛門を締めるという下から上への動作を、同時に行うことになります。私の場合は、空気を押し付ける力と肛門を引き上げる力を丹田でバランスするというやり方をしています。そうすると筋肉痛というほどではありませんが、腰の上の背骨の両脇の筋肉が軽く張ります。塩谷博士にそういうやり方でどうですか、と聞きましたところ、それでいいよ、ということでしたので、以降そのように実践しています。
私も最初は肛門をうまく締めることができず、とくに充息の時には一度キュッと締めても、息を止めている間にドンドン緩んでしまうという状態が続きました。上記のようなやり方をするようになって、なんとかできるようになりました。この辺は慣れということも有ります。日頃、肛門を締めるということに意識を向け、実践しておく必要もありそうです。
10月2日 茨城県龍ヶ崎市文化会館 安保徹氏講演abotoru.pdf へのリンク
【モンゴルからの支援】インターネットから一部抜粋
 モンゴル政府からは日本に対して100万ドルの寄付が寄せられたが、個人の寄付のほか、政府機関の職員などが、1日分の給料、あるいは2日分、ところによっては5日分の給料を寄付した結果である。
 この報道に対して、日本の公務員は? とのコメントもあちこちで見たが、何の反応もないようである。
 モンゴルの緊急援助隊は、3月16日に宮城県に入り、岩沼市、名取市、仙台空港などで17日から19日までの3日間捜索活動を行ったほか、モンゴル国政府から援助物資、市民からの援助として毛布、セーター、マフラー、帽子、手袋などの防寒用衣類合わせて11トントラック1台分が送られ、石巻、南三陸町、気仙沼市の被災地に配布された。
 日本政府の対応がまずくて送り先が決まらなかったため、独自にモンゴル国政府が宮城県の災害対策本部と連絡を取って、支援物資の受け入れ先を探し、自費で発送したとのこと。

 余談だが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の際にも、モンゴル政府は21日には援助を決め、22日、定期航空便がないため特別機を仕立てて関西空港にやって来た。
復興の邪魔にならないように、物資を届けてすぐ帰国
 物資と一緒に訪日したプレブドルジ副首相は、復興の邪魔になってはならないと、物資を渡すとそのままモンゴルへと帰ったとのこと。この辺のモンゴル人の行動力や潔さ、見習いたいものである。
 また、日本のNGOゆいまーるが支援するモンゴルの孤児院は、40人分の子ども手当の全額寄付、先生たちの給与の一部寄付、チャリティーコンサートの入場料の寄付、メディアでの寄付呼びかけなどを行い、被災地支援のために600万円を集めたことも特筆に価する。
 4月初旬にはモンゴルからゲル(移動式住居)も宮城県気仙沼市に5張届けられた。寒いうえにプライベートも守られない状況にある避難場所で、更衣所、授乳場所などで使われたとのこと。

 日本に住むモンゴル人留学生たちも行動を起こした。
 震災後、学生の多くは一度はモンゴルに戻ったものの、状況が落ち着いたのを見て、多くの人々が4月初旬には帰ってきた。

 4月29日、フェイスブック上では、「本当は今日からハワリン・バヤル(毎年やっているモンゴル春祭り)があったのに」との書き込みがずいぶん見られた。
 そのような中でチャリティーの話があったのか、にわか作りだが、5月14日には留学生会だけでなく、モンゴル人協会・日本と共催、さらに在日本モンゴル国大使館、MIATモンゴル航空の後援もついて「ビッド・ハムトダー〜私たちは共にいます」という学生主体のチャリティーコンサートが催されることになった。
 本番までの時間が短かったためかもしれないが、荒削りでも、日本にはこれだけのモンゴルの才能がいるのかと思わせるほどの素晴らしいコンサートであった。
 このチャリティーコンサートで集められたお金は、被災地での炊き出しで使われるとされてきたが、フェイスブック上で、実際、石巻市で6月2日に炊き出しが行われたことが報告された。

被災地の人々をモンゴル旅行に招待
 さらに、MIATモンゴル航空も、モンゴル国大使館、モンゴル観光協会とともに、避難生活を続ける被災者の方をモンゴルに招くプロジェクトを展開している。
 宮城県名取市から4月20日から1週間、6人の方がモンゴルに招待され、ウランバートルやテレルジ、ホスタイン・ノローなどの自然公園を訪れた。さらに、気仙沼市からも5月23日から1週間、60代から70代の方6人が招待され、モンゴルを楽しんだ。
5月 判断は各自で。でもこういうの信じない人も多いんですよね〜。9−6以降は各自で見てください。9−1から9−5まで紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=xBkgcU7B9TU
http://www.youtube.com/watch?v=uW7e9CW8v7o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=WX929U1LGtQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fxzjHbn3oi4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=M2mX7lWYxms&feature=related

4月
http://fukkou-noroshi.jp/posters/index.shtml#iwate

http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=e7fKSJUZt-k&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=dWdG6iBPk-A&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=-GIgKIu3sIY&feature=related

2011年3月
大塚晃志郎氏のブログより (ある天風会員より紹介がありましたブログより抜粋)
『1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある )
 さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」( 秋月辰一郎著「死の同心円−長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版 )
「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。「味噌汁」の具は、「かぼちゃ」であった。のちに「わかめの味噌汁」も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、「味噌」が実に大切であることを説き、のちにこう語っている。「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」
( 秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊 )
 博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「味噌」がとぶように売れたということはあまり知られていない。
 (中略)
秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」(「体質と食物」)
「塩と玄米と味噌汁が、放射能の害から命を守っただって?まさか、そんなバカなことが!そんな簡単なことで原爆症を免れたなら、医者なんていらねえよ!」と、きっと皆さん、思われたに違いない。
私も、最初、同じように思いました。しかし、実は、一見、簡単そうに思えることの中に、実は深い意味が隠されているものなのです。とくに生命に関しては。
今では、私には、秋月博士が行なったこと、言ったことの、重大な意味がよくわかります。
また、現代西洋医学は、すべて人を平均化して対症療法で処方する方法ばかりにとらわれているので、個人の「体質」の違い、「体質」の強さに対しては、まったく盲目に近いといえます。
口から入るもの(飲食)が、一番身体内部に直接影響を与える外部からの環境因子になりますから、たしかに、身体の体液環境を守りうる要因にはなりうるのです。
毎日、ハンバーガーなどのジャンクフードや、牛丼、コンビニで買った食品添加物山盛りのレトルト食品ばかりで食事をすませていたり、外食で、焼肉やおいしいグルメの食べ歩きばかりしていて、さらには、とくにソフトドリンクや甘いものには目がないときたら、そういう人たちは、放射能汚染によって被爆でもしたら、原爆症になりやすいのではないかと思います。
ただし、インスタントの味噌汁を飲んでも、全然やらないよりましかもしれませんが、あまり効果は期待できません。化学的な食品添加物が一切加えられていない「無添加の本物の自然醸造の味噌」をつかった味噌汁ならば、非常に強い薬効が期待できます。そういう「本物の良質の味噌を使った味噌汁」を毎日1回以上必ずとるよう心がけると、「未病を治す」という言葉があるように、非常に効果的な病気の予防になるかもしれません。世界保健機関WHOでも高く評価された、日本の伝統食や伝統的発酵食品の知られざる底力を見直して、毎日の食事の基本に取り入れた方が、結局、体質的な力を強めて、免疫力も強化することになり、正体不明なウイルス性の病気やインフルエンザなどにもかかりにくくなって、いざというとき、放射能の害からも運良く健康と命を守れるかもしれないし、予想以上の大きな恩恵があると思います。 
なお、講談社をはじめとして、秋月辰一郎博士の原爆体験記録の本は、非常に貴重なので、原爆投下から60年以上もたった今、あらためて是非、復刊してもらいたいものと心から願っています。
この記事からヒントを得て、原発事故による放射能汚染から、少しでも、大切な自分と家族の健康と命を守れるように、どうぞ上手に活用して、すぐにお役立てください!
★ 放射能の被爆から、体質的に体を防御する食べ物のまとめのキーワード:
自然醸造味噌、自然塩、ごま塩、玄米、玄米おむすび、味噌汁(具は、わかめ、かぼちゃなど)、わかめ、昆布、塩昆布、血液を守るために、白砂糖・甘いものは摂らない。アルコールも摂らないこと。これを徹底して実行すること。
★あくまで、この記事は、過去の歴史における事実からヒントを得て、少しでも放射能汚染から健康と命を守る確率を少しでも高めるために、今できることをすぐにやっておいたほうが、何もできないままで過ごすよりはよいのではないか、ということで、判断はすべて自己責任でお願いいたします。個々の質問にはお答えできませんので、ご了承ください。冷静に的確に対処していきましょう。
★また、この記事は、あくまで、この緊急時に、いったいどうしたらよいのか、と不安で困っている方々のために、今できる意味あることのヒントとして、やむにやまれない思いから、切迫した気持ちで、徹夜して書きあげたものです。マスコミ関係者の相手をしている時間的なゆとりはありませんし、マスコミ関係の取材や質問には一切応じられませんので、あらかじめご了承ください。引用した文献につきましては、すでに絶版のものですので、国会図書館などに足を運び、直接、ご自身で調査・取材してくださいますようお願いいたします。
★地震・津波の災害で、人々を救助するのに懸命な消防隊員や自衛隊員の方々の無私の献身ぶりには、ほんとうに頭が下がります。危険な中に飛び込んでいく彼らには、心から感謝したい思いで一杯です。また、原発事故で、自らの身の危険もかえりみず、なんとか深刻な危機をのりこえようと、命がけで懸命に問題解決に取り組んでおられる作業員の方々にも、ほんとうに頭が下がります。そういう方々の身が、なんとか危険から守られるよう、こういう思いがけない知恵が少しでもお役に立てば、と心から願っております。』
2011年2月
「アメリカ帝国の秘密の歴史」という元EHM(Economoc Hit Man)実在人物の告白本より
(日本語訳はありません)現在のアフリカ情勢の参考に。本質は変わっていません。手法が変わったのです。インターネットを使えば直接現地の国民を洗脳・誘導できるということに。

建前としては民主共和国という名の付いたコンゴ民主共和国(旧ザイール)と呼ばれる国において1998年に約400万人が殺された。彼らが殺されたおかげで裕福な人々は割安のコンピューターや携帯電話を買うことができる。その国は1960年にベルギーから独立を勝ち取ったけれど、すぐにアメリカの影響下に入った。雑誌のタイムは。2006年に「世界における最も破壊的戦争」というカバータイトルを付け、無遠慮に書かれた。「コンゴの選挙で選ばれた最初の首相ルムンバはベルギーとアメリカによって支援された反対派によって殺された。なぜならルムンバはソビエトとの結びつきをしようとしたから」
ルムンバ暗殺の後、陸軍の将軍であるモブツ・セセ・セコが支配権を握った。タイム誌の言葉によると、「アメリカ政府は冷戦の間、アフリカ史において最も腐敗した政権のひとつであるモブツを支持した。」
モブツの長期間に渡る支配は、腐敗と同様に冷酷であった。そして近隣諸国をかき回した。1996年と1997年にルワンダとウガンダは、モブツを打ち倒すためにコンゴに軍隊を送り込んだ。そして反体制派のリーダーであるローラント・カビラを新しい大統領として就任させた。しかしながらカビラ政権の下で社会的、経済的状況は急速に悪化した。
ウガンダとルワンダは1998年に再び侵攻した。他の六カ国はコンゴの豊かに資源の利権を獲るチャンスとこれを捉えて侵攻に参入した。これをアフリカ第一次大戦と呼んでいる。
この戦争において民族的な、文化的なそして部族間の確執が理由でもあったが、ほとんどは資源を巡る戦争であった。タイム誌によるとコンゴの土地はダイヤモンド、金、銅、タンタル(現地ではコルタンと呼ばれ携帯電話やパソコンの電子部品として使われる)とウランの宝庫であると。
この国は広大であり、アラスカの1.5倍の広さがある、青々とした熱帯林に覆われ、肥沃な農業地を有している。かつて私がこの地域の調査を行って分かったことは、アフリカ大陸において必要な電力をコンゴ川における水力発電だけで賄うことができる可能性があるということだった。
コンゴのタンタル無しにはコンピューターが組み込まれた製品を作り出すことができないだろう。例えば、ソニーのプレイステーション2の2000年のクリスマスにおいての深刻な品不足に陥った理由はこのタンタル不足が理由だった。
ルワンダとウガンダの民兵は反逆者から人々を守るという理由でコンゴへの侵攻を正当化した。しかし彼らは彼らが集めたタンタルを売ることで、また略奪したタンタルを国境を越えて密輸して何十億ドルも稼いだ。
アメリカ、イギリス、南アフリカから派遣されたEHM(経済手法により国家を崩壊させるという経済暗殺者)、ジャッカル(銃による暗殺者)とアメリカ政府からの派遣職員はこれらの紛争に常に火をつけ回した。武器を双方に売ることで富を得た。戦争は企業が人権保護団体や環境保護団体の目をごまかすことを可能にし、また税金や関税を払わないで済むことも可能にした。
コンゴは同じようなことがいろんな所で行われている単なる一例に過ぎない。アメリカの議員であるシンシア・マッキーニ(民主党)はこのことを2001年4月の公聴会において公表した。彼女の演説は次のような告発を含んでいた。
「今日あなた方が聞くことはマスコミやメディアによって公表されていないことです。強力なある種の勢力がこれらのことを公にしないように圧力を加えているからです。
植民地時代以降のアフリカにおいても西側諸国政府と西側諸国のビジネスマンは西側が長い間持ち続けてきた残忍性、強欲、不誠実を持ち続けている証拠があります。アフリカにおける西側諸国の悪行は個々のつかの間のちょっとした間違いということでなく、人間が共通して持っている欠点によるものでもなく、それらはアフリカの人々の犠牲の下でアフリカの富を長期間に渡ってぶんどるべく計算されたものです。アフリカの苦しみは西側の、特にアメリカによるアフリカのダイヤモンド、石油、天然ガス、そして他の貴重な資源を得ようとするところから生まれている。西側、特にアメリカはアフリカにわざと圧政を敷き政情を不安定にして、道徳的原理によるものでなく無慈悲な原理によってアフリカの信じられないような富をぶんどる欲望を持っている。
西側諸国は安定したアフリカ諸国に対して反乱をけしかけてきた。正式に選挙で選ばれた正当な政権に暗殺者を差し向けて倒し西側諸国によって、特にアメリカによって買収された従順な役人を国家元首に置き換えている。」
国連はコンゴの流血を止めさせるよう努めたが(2006年夏、過去最大規模の国連軍が駐留した)アメリカと他のG8国は協力しなかった。
タイム誌によると、
「世界はコンゴに更に血を流させようとしている。2000年から、国連は何十億ドルをコンゴの平和維持活動のために支出した。2月にコンゴにおける国連と援助グループは人道的支援のために6億8千2百万ドルの資金を要求したが9千4百万ドルしか受け取れなかった。それは援助を必要とする人々の一人あたり9.4ドルにしかならなかった。
暴力は国境の内側だけでなく、コンゴの隣、スーダンのダルフール地域に悪夢は拡がった。200万人が20年間に渡る戦争で死んだ。これは西側が最も欲しがる資源、石油を原因にしていた。紛争の元は昔からの宗教的対立、部族間の対立が原因ではあったが1980年代から1990年代に新しい段階に入った。暴力は油田地帯の支配権を奪うという隠れた目的をもってアメリカから派遣されたEHMや暗殺者によって引き起こされ、より悪化の道を辿った。
紛争や混乱は人身売買を助長している。ここ数年だけでもおおざっぱに見て、25万人のスーダン人が奴隷として誘拐され、その多くがセックス奴隷として売られた。
文明国のほとんどの人々はそのようなことは19世紀に終わっている行いだと信じている。しかし終わっていないのです。
コンゴとスーダンは古い形の資源の略奪に巻き込まれた。戦争と貧困は、そこに腐敗した政府ある限り、天然資源の略奪と低賃金による搾取を長い間に渡って可能にするのです。

他のアフリカにおいてさらに精妙な方法による帝国建設の例をケニアとウガンダに見ることができる。それはNGOの役割です。アメリカ政府と外国政府の間の陰謀がNGOと農業ビジネス産業の間に存在する。
・・・NGOが如何にアメリカ政府とアメリカ農業企業(主に種子企業)の陰謀に利用されているという話が続く・・・・

 

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